最近Facebookなどのソーシャルメディアでは戦後70年、安保法案の話題が多い。
今日で広島に原爆が投下されてから70年。小学校3年生の時に体育館で観た記録映画『人間をかえせ』が私の原爆に対する思いの原点。
夏休みの読書感想文用推薦図書になっていた『ヒロシマのピカ』という絵本も印象に残っている。
数年前に亡くなった叔父は元零戦のパイロットで、小学校中学年だった私は『戦艦ヤマト見た事ある?』等聞いては戦争の悲惨さよりも、飛行機や戦艦のデザイン、そしてそれを実際に見た事がある、と言う彼の話に興奮していた。が、叔父はそれ以上に詳しい話をする事は無く、とても悲しい表情をしていた。
ちょうどその晩(正月だった)に、テレビドラマで古谷一行が山本五十六を演じたドラマがあり、内容は良く覚えていないが、おじさんが涙を溜ながら観ていたのは今でもしっかりと思い出せる。
20代を国内放浪に費やした私は、各地で地元に暮らす老人達とお話する機会が多かった。話しかけやすかったのかもしれない。
そして大抵彼らは私の暮らしぶりを感心して、ワシらの頃はそんな余裕無かったからなぁ、と戦時中の話を聞かせてくれた。
それらの話はどれも苦しく、悲しい話ばかりだった。本人達は自分が経験した体験の内、他人に話してもはばかられない程度の事だけこうして私の様な者に話してくれたのであろうが、それだけでも十分に気分がどんよりとする話だった。
国内放浪の最後に行った日本最北限の島、礼文島で昆布干しをした時は親方のお父さんが『戦争の頃ぁまぁとにかく毎日よく殴られたわなぁ』と言っていたのも印象に残っている。
平和を願う、というのは日本人であれば当然、と思って生きて来たが、どうやらそうでも無いのか、と最近思うようになってきた。
平和ボケ、という言葉に以前は恥ずかしい思いを抱いていたが、今はそれでも良いんだと考えている。
暗い話になってしまった。気分を変えて今朝のバリ島ウブド近郊、朝の様子を。
夜明け前は雲も少なくて、これは良い朝焼けが見られるかも、と期待していたが、少しずつ雲が出てきて、最後にはアグン山も朝陽も隠してしまった。残念!!