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HAPPY UBUD DAYS

日本海の名勝【笹川流れ】→国道7号線→村上城趾

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『親孝行したい旅2日目』

村上の瀬波温泉は2泊の予定で、初日は到着してすぐに母の子ども時代の借家を探して城下町村上の旧市街を散策。

■車で行く、狭山日高ICより圏央道→関越道→北陸道→日本海東北道で新潟県村上市瀬波温泉へ

2日目は丸1日近隣を観光。

まずは鮭の遡上する三面川を渡り北上して、子どもの頃必ず海水浴に連れてきてもらっていた笹川流れへ。

時折、羽越本線の車両がガタゴトと通り過ぎていく。
乗客は殆ど無いのが遠くからも良く見える。
海水浴していた時、すぐそばをこの電車が通る度に嬉しくて、
おーいおーい!と大声出して手を振っていたのを思い出す。
1日中浮き輪付けて、夢中で手足バタバタさせて夜に足がパンパンになって訳分からず泣いたのが、今は息子が同じ事になっているので気持ちが良く分かり『分かる分かる、お父さんもそうだったよ』と声を掛けながらメントール入りのオイルで足を揉んでいる。
まわる~ま~わる~よ~時代~はまわる~♪

道の駅『桑川』と祖母

そんな昔話を父母と話しつつ、桑川の道の駅で休憩。

ここは祖母の生家がある地区で、数年前まで民宿を営んでいたらしいが既に廃業。今も家はあると思うが誰も私達の事を知っている人はいないだろうとの事。

元気な頃の祖母を知らないが、海女としてこの海で働いていたそうだ。
遠くに見えるのは粟島。
この海でアワビやサザエなど捕っていたのかな等、昔の祖母の暮らしぶりを想像してみる。

『眼鏡岩』へ

17歳の夏、祖父がまだ元気で買ったばかりの中型バイクで来たとき、ここで見知らぬおじさんが大量のアワビを密漁してたな~。
興味本位で網に入っている大量の貝類を指さして『これ何ですか?』と聞いた時のおじさんのバツの悪い顔だけは今でもハッキリと思い出せる。

より良い撮影場所を求めて岩場をひょいひょいと登る父もうすぐ70歳。現役家具職人のせいかまだまだ足腰は大丈夫そう。

そしてその岩場から撮影した眼鏡岩がこちら↑。

この様な看板を見ていつも思うのが『誰がこの名前を付けたんだろうか』という事。昔からそう呼ばれていたからそうなのか、案内板作るから名前付けよう、となったのか。恐らく大半は前者かと思うけど、当時の人の想像力に思いを馳せるのもまた楽しい。

道路は崖の縁に添うように浜辺を走り、小さなトンネルを何度も抜ける。
左手に日本海、右手に羽越本線の線路、その向こうは崖、という具合に。
トンネル手前には旧道があったりして、そこは人の手で掘られたであろう、車が通るには小さいトンネルもあった。

国道7号線を南下、村上市街方面へ

しばらく北上を続け、国道7号線に合流、右折して村上市街へ向かい南下。

海ばかりの景色から、山と田んぼに囲まれた景色。道路も空いてて日帰りドライブには最適なコースだな~と(すいません、ずっと運転してて画像ありません)。

村上市街地の手前に亡くなった祖父の弟さんが暮らす家があり、立ち寄る。
しばらく探した後に見つけたものの留守。翌日あらためて伺う事に。

村上城趾

村上市街に入り、細い路地を抜けて臥牛山(がぎゅうさん)の麓へ。
この山の上にその昔お城があったそうな。母を含め地元の方は『お城山(おしろやま)』と呼ぶのだそう。

さすがに両親とも山道を登る気はないらしく、案内看板見たりして1日観光無事に終了。

2日間の村上滞在で感じた事

今まで村上という街は子ども時代『夏休みの一大イベントの地』でありながら、実際は祖父母の暮らしていた長屋と海、くらいの記憶だけ。
祖父亡き後、バイクで全国放浪中に何度か通ったり、近くの無人駅で野宿した事もあったけど今回の様に両親と一緒にゆっくり観光する、という事は無かった。

40歳を過ぎて子どもも元気に育つ中、自分のルーツを知りたい思いが強くなり、両親が元気な今のうちにと嫁さんに話したら快く今回の帰国に賛同してくれた。

村上の市内外を車で走り、当時は知らなかった街の姿がどんどん見えてきて、母が子ども時代に暮らしていた場所や、祖父母の生まれ育った街を訪ねられた事は、自分のルーツと繋がれた気がして本当に嬉しかった。

時期的にも暑くも無く寒くも無い時期で、日本海は本当に美しく、新緑の山や川を見る度に『これが日本だよな』と何度も思った。

瀬波温泉のハイシーズン前の少し静かな雰囲気も最高で、久しぶりの温泉をしっかり堪能。接客サービスなど自分の仕事にも色々と考えさせられる事が沢山あり、パソコン持参&仕事しながらだけどしっかりと楽しめた。

次回は自分の家族と一緒に来たいと思う。

  • B!